未体験の出来事!白峰三山
長田 剛さんのレポートです
間ノ岳山頂にて バックは北岳・甲斐駒ケ岳

それは、経験もしたことのない暴風だった。台風15号が予報より遅れて、まだ函館にいた。そんな中、一向にガスと風雨が治まらない肩の小屋を、予定より1時間遅らせて出る。
 北岳頂上に立ったものの、濃いガスに被われて一大パノラマも期待できないので先を急いだ。吊尾根分岐に指しかかったとき、先行者が奇妙な動きをしている。前夜の小屋で八本歯を経由して下ると聴いていたが、左右に振られながら八本歯の頭へ霧に吸いこまれるように消えていくのを見届けた途端に、突風にあおられた。瞬間、すぐに地面に伏せて、飛出ている石につかまった。轟音を伴った風が頭上を疾走する。風の通り道に嵌ってしまった。腹ばいのまま後ずさりしながら僅かな岩陰に身を寄せるが、叩きつけるような風が、容赦なく、押し寄せてくる。四肢を岩に支持させて体を丸くして耐えるが、一向に風は収まらない。リュックカバーが外れて風にあおられてしまった。やばいと思い、直ぐに胸元に抱え込んで、体勢を維持する。一瞬、風が弱まったところで安全な岩陰に入って身を整えていると、前日から一緒だった単独者も風の通り道に嵌ってしまった。身振りで安全なこの場所を誘うと、腹ばいになりながら来たものの、今度は背後から風が襲ってきて、元の位置に戻る羽目になる。風が回りはじめている。時折、ガスの切れ間に青空が覗くが、殆どが灰色の世界。風で体温が奪われて寒く感じる。フードを出して頭を覆い、体を丸くして体温を維持する。が、このままでは遭難の憂き目にあってしまうのではと、不安が横切る。
 小一時間がたったであろうか、ガスが突然切れだし、チャンスとばかりに体を前傾にしたまま突き進んでみた。眼下には北岳小屋の赤い屋根、その先には間ノ岳の雄姿がみえて、俄然勇気がわいてきた。
8月19日、新宿の高速バスターミナルを7時に発って一路甲府駅に向かう。そこから9時30分発の広河原行きのバスを乗り継ぎ、現地に11時43分着く。身支度を整えて広河原を発ったのが12時。予定では大樺沢二俣と小太郎尾根分岐を経由して肩の小屋へ行くのだが、広河原のバス停に、崩落等の危険があるから御池小屋経由を指図する案内板が掛かっていた。予定外のコースに戸惑い(第2案がない)もあったが、御池小屋への分岐で休んでいた登山者に、大樺沢の道が通れると聞いて不安が無くなった。二俣までは2時間半を見込んでいたが、2時間。先の小太郎尾根分岐までの右俣コースも2時間半と見込んでいたが、やはり2時間と幸先が良かった。
 天候は曇り、北岳の頂上はバスの車窓から見た時と変わらずガスに被われている。沢伝いに歩いてきたので尾根の様子がわからないまま稜線に近づくと、相当の風が吹き荒れている様子なので、一旦、後退して這い松の陰でヤッケの上着を取り出して、しばし休息を取って稜線に立った。10人位の中高年パーティーが岩陰で風を避けていた。正面に現れると思っていた仙丈ケ岳の姿はガスに被われてない。風が強くて、幾分、寒く感じる。でも、後30分位で小屋に着くと思うと、挨拶を交わす言葉に元気が出てくる。
 30分と言っても15分で行けるのではと、尾根の岩稜を今までと変わらないペースで進むが、だんだんと、膝の上げ下げの幅が広くなるうちに、左足太股に違和感が走る。来そうだなと、ペースを落として小幅に徹することを心掛けて塩を舐めながら次の岩稜に取り付く。ここを過ぎれば直ぐだろうと上がるが、その先にはまだ道が続いている。右足も来そうなので多めに塩を取り、マッサージをするが一向に収まらない。我慢してそろりそろりと騙しながら歩く。突然、両足に痙攣が走る。その場に尻餅を衝いて両足を前に投げ出して、必死に登山靴を抜ぎ、足を伸ばそうとすると、太股の筋肉が塊になって移動する。痛みはないが力が入られない。這いつくばって登山道の脇に移動し、スプレー缶を取り出して大腿部に吹きつけ、すぐさま雨具のズボンをはいた。因りによって1ケ月前の薬師沢での症状に似ていた。その時は大森先輩に「足が冷えているから、起きるんだ。ズボンをはけ」と言われたのに、その反省が生かされなかった。脇を通っていく登山者に励まされながら1時間かけて肩の小屋に着いた。
 時刻は17時。小屋の第一陣の食事が終わるころで、受付を待たされた。その間にストーブの前で体を暖めていると、脇に空き缶の灰皿があった。小屋の中で煙草が吸える。断然うれしくなってリュックから缶ビールを取り出して一気に飲んだ。食事は焼肉定食で、まあまあの味である。食後、階段を上がった脇の「Aの1」に案内された。そこは、布団一枚分のスペースがあり、頭の先に荷物が置ける空間もあってラッキーであった。
 荷物を整理して階下へ、ストーブの前で煙草を吸っている小父さんの横に座って、一服し始めると小父さんが話しかけてくる。「いい場所をもらいましたね。以前、私もAの1に入れてもらって、そのとき隣に居合わせた夫婦と友達になりましてね」と喋りだす。
 山形から、毎年数回は北岳に写真を撮りに来ているそうで、70になったらJRの運賃も3割引になって助かっていると(こっちは3割カット)中高年の登山者が多くなって、山での話題は年金話に花が咲いていると(どこも同じ会話をしているんだな)そんな話の中に、福生市から来た中年が入ってくる。ここでは、松本清張ならぬ点と線の話。「新宿駅発23時54分の白馬行きの快速で甲府に出て、2時間の仮眠を取って朝一のバスに乗り農鳥小屋で泊れば、白峰三山を2日で踏破できる」と、だが、この男性は、新宿に出る電車賃等を比べると、マイカーで高速を使って麓の無料駐車場から朝一のバスに乗り継ぐ方が安いと踏んで来たがこのざまであると。
 実は、私も23時54分発に標準を合わせていた一人で、当日、19時に広尾で大事な飲み会が入っていて、宴会が2時間半として、1時間でアパートに戻り身支度を整えて新宿に向かっても間に合うのではと内心思っていたが、翌日の体力に自信がなく諦めた。小屋の外は、私が辿り着いた頃からの雨風が今もまだ続いている。時折、突風が吹いて小屋を揺さぶる。台風15号がまだ日本海にいるとの情報。

 翌20日、山全体がガスに被われて、時折吹く突風で小屋が揺れる。日が差せば気温も上がってガスが晴れると思い7時に小屋を発つことにした。幾分、風も弱くなり濃い霧の中を、北岳を目指す。後から、大樺沢の二俣で知り合った単独者がついて来た。
北岳の頂上は相変わらず霧の中。一体のお地蔵さんの周りには、小銭が散乱しており一枚一枚拾い上げては拝んだ。この先は冒頭で話したとおりである。
 吊尾根分岐から富士を望む
北岳小屋の鐘の下で、干し肉とパンをかじりながら、北岳の道を仰ぎ安堵していた。
上空は嘘のように雲ひとつない青空ですがすがしい。千丈、甲斐駒は勿論、アルプス南端まで見渡せるが、中央アルプスの頂は雲で隠れていた。富士山を左に見ながら間ノ岳を目指し、北岳を振り返り、振り返りして歩いた。
北岳小屋の向こうは間ノ岳
  ↑ 間ノ岳       
                    北岳を振り返る →
振り返り見る北岳

北岳の向こうに甲斐駒ケ岳

間ノ岳山頂

 間ノ岳から南アルプス南部の山並み
間ノ岳に着いてにこやかにしていると、早速おばちゃん達にシャッターを願われる。お礼にと自分も撮ってもらう。面白いのでしばらく会話をしていたら、大門沢を目指していたが、先を歩いていた団体さんを見習って農鳥を登って肩の小屋へ引返すという。引返すなら大門沢へ下りたほうが楽だと言ったが、彼女らは早い昼食タイムに入る。時刻は11時10分。団体の前に出なくてはと、農鳥を目指して先へ行く。

農鳥岳長いガラ場の下りである。団体さんも来た様なのでストックを出してピッチを上げ、尚も下る。大分引離したと思って農鳥小屋で休息を取っていると10分遅れで到着する。「結構やる団体だ!」相変わらず干し肉とパンを食して小屋を後にした。時刻は12時30分。このままだと17時40分、遅くても18時には大門沢の小屋に着くだろう。
 西農鳥の直下で休憩していると、件の単独者が追いついてきた。開口一番「農鳥小屋の親父が30人の団体を目の当りにして、女性従業員も駆り出してあの手この手で客引きをしていたが、大門沢へ行くと団体さんが言っていたよ」「大門沢へ!?下手したら19時だぜ。何処の団体だ」「近畿だって」「結構やる団体だが、ツアー客相手に強引だな」ひょっとしたら、さっきのおばちゃん達もついて来るのではと期待しながら、農鳥岳を過ぎて大門沢の下降点に差掛っていた。分岐点には櫓に鐘が架けられていて迷わず入れる。休憩場所を探しながら下り、適当な所で休む。500mlの水も底を衝きそうなので、単独者に水を乞うたらリュックから2Lのペットボトルを出してきた。「乞うより、お前を助けてやる」気持ちで満杯にした。大門沢の下りは結構きつかった。普段なら1時間毎に休憩をとるが、30分で辛くなる。結構、飛ばしていると感じながら、下の方から沢の音が聴こえだすと、尚更上がる。ようやく最初の水場に辿り着いて、思い切り頭から水を浴びた。それからは、単独者を先に行かせて幾筋の沢を通るたびに水浴びをして体温調整を図った。下りも緩やかになったところで単独者がヘバッテいた。「先が長いから、無理するな」と柔らかく言って下ると、赤い屋根とプレハブの小屋(食堂)が見えてホットした。
 小屋の到着時刻はちょうど17時。受付している間に沢水を引いた水槽から缶ビールを取り出して一気に飲み干した。寝床はと尋ねると「今日は空いているから1階の好きな所でどうぞ」と言われる。「団体さんはどうするの?」「2階に上げるからお好きなように」こんな小屋は初めてである。食事は、岩魚の甘露煮と冷奴、山菜のお浸しに茸汁。調子に乗ってまた缶ビールを開けた。外で一服していると、団体さんが1時間遅れで到着した。騒ぎ出す前に床に入って一気に眠ろうとするが、22時頃に喉が渇いて起きだす。ゴソ、ゴソと床下から物音が聞こえる。ネズミかな、と思って靴を床に置いて目を瞑るが、ゴソゴソが気になって寝付けないが、いつの間にか寝入っていた。

 翌21日、4時半。2階の団体さんの物音で目を覚まし、朝一で食事を済ませる。今日も団体さんの出発時刻が気になって尋ねた。「5時40分集合」よし、5時半には出なくてはと、今日も単独者と一緒に小屋を発った。奥黒部ヒュッテから渡しまでの様な道が続き、幾度も丸太橋を渡る。途中に崩落箇所が1箇所あったが難はない。一人、二人と麓から登って来る人に出会うと、登山口も近いと浮きだってしまう。体験したことのない暴風を乗り越えたこと、そして予定通りにいった山行を北岳の地蔵さんに感謝して奈良田温泉に着いた。

 時刻は8時20分。身延行きのバス時間まで1時間20分もあるので村営の湯に浸かって、湯上りの缶ビールを空ける。極楽、極楽。身延までのバスは揺り籠になっていい気持ちであった。
11時半頃身延の駅に着き、そこで単独者と別れる。私は折角だからと身延山詣でに向かった。


身延山三門ひなびた門前街を通って、山門から287段の階段を上り詰めると、日蓮宗の大本山、久遠寺に立った。休憩所の陰でしばしのくつろぎを得て境内を散策する。本堂


帰りは、石段にするか脇道にするか、躊躇したが石段を選んだ。ここで転んではと、慎重に、慎重に下りて、今度は、茶屋で牛乳を空けた。