南アルプスにこだまする「山は心のふるさと」
----霧中の甲斐駒、仙丈ヶ岳山行----
2004.9.19-20 長田 剛

甲斐駒ケ岳 山容を現さない摩利支天を左手に、甲斐駒を後にザラ場を走るように下って行くと、赤星さんの唄を歌っているグループがいた。富山県人だと直ぐに分かった。夜叉神峠の駐車場で、富山ナンバーを見つけて、入っているのは分かっていたが、こんなに早く出会うとは。と、飛ぶように近づいて話をすると「白木峰、金剛堂山を愛する会」?だと、顎ひげを蓄えた人が言った。自己紹介をしていると「岡本」さんの名前が出てきて「松田」「米田」と、事務局員の名前がポンポンと出てくる。「長田じゃないか」と呼びかけられて振り向くと、グループ会社の「Y」先輩!直ぐに、八尾町のグループだと分かった。そのうち、見慣れた黄色のアノラックを着た、おじんが近づいてきて「おい、おい」と口の角に泡をためて寄ってくる。ぶったまげたのは、こっちであった。「A」さんではないか!「お隠れあそばしたと思っていたのに、井波の者が何でここに居るんだ」と、久しぶりに挨拶を交わした。昨日、20人程でバスを仕立てて北沢峠に入って来て、明日は仙丈ヶ岳に向う予定だという「私も明日は仙丈なので、また、会いましょう」と言って先を急いだ。
 南アルプスの小屋は、予約をしていないと泊めてもらえない地域で、前々日に予約を入れたが、既に満員で断られていた。その為に、北沢峠からさらに2時間半かけて、予約の要らない馬の背の小屋を目指さなくてはならなかった。時間的には充分余裕もあったが、峠を折り返す気力と体力に些か不安であった。
 前日の18日に、甲府駅前の安いビジネスホテルに泊まった。連休初日で、高速も八王子から先は30Kの渋滞で、2時間程遅れて甲府に着いた。足で市内見物をしようと思っていたが、バスで県立美術館前のほうとう店に直行して「カボチャほうとう」を食べて、美術鑑賞と洒落こんだが、美術館を出たころは既に日が落ちていて、そのままバスで駅前に戻った。翌朝、4時半のバスに乗るためにバス停に行くと、既に5、60人が列をつくっていおり、バス会社の職員が交通機関の乗り継ぎや、登山の注意点を説明して、人数をカウントしていた。前日は、バス4台の他にタクシーで運んで、お盆以上に混雑していると付加えていた。ようやく、3台目のバスに乗り込んで、お稲荷3個を腹に入れて寝入る。目が覚めたのが、最初の停留所である「芦安」ここから乗車する場合は立たなくてはならない。鳳凰三山の登山口「夜叉神峠」では、ゲートが開くまでトイレタイムとなり、立っている人も着席できるように整理が図られる。ここから先は、川床から800mの位置に取付けられた林道を縫うように走る。景観も好いところだが、濃い霧に覆われて北岳や間ノ岳の雄姿が臨めない。6時43分広河原に着いて、直ぐに北沢峠への村営バスに乗り換えて、2台目のマイクロバスに乗り込む。
北沢峠
 北沢峠には、予定通り7時15分頃に着いたが、薄い頭の上に雨粒が落ちるのが感じた。ザックカバーと上着を着けて、来た道を戻るように長衛小屋前の沢へ一旦下る。天候は小雨で、寒さは感じられない。沢伝いにシラビソやコメツガがうっそうと茂る道を行くと30分程で、鈴木さんの曰くつきの小屋、グルメの仙水小屋に着く。その先を突き進むと、目の前に城壁の様に溶岩が整然と積み重なった所にぶち当たる。裾を巻くように右へ右へと回って高度をかせぐと仙水峠に着く。北沢峠から1時間程である。ここからの摩利支天の眺めは迫力があるとガイドブックに書いてあったが、風が吹いているのに、深いガスでまったく見えない。ここから駒津峰までは、樹林帯の急登がつづく。幾分、冷えてきているのか、途中で小便がしたくなる。用足しをして、雨具のズボンをはいた。尾根に出ると横殴りの雨と風が吹き付けてくる。前回の反省もあって、早めにはいてよかった。しかも今回は、プライスダウンしたばかりのCR−Wを着けているので安心感があった。兆候があっても、それをカバーしてくれるのが、このギアである。
駒の手前 駒津峰駒津峰に9時50分に着いた。予定より10分遅れている。濃霧と強風にさらされて休憩するより、先を急ごうと六万石へ向かった。風が強いので直登は避けようと思っていたのに、先行者につられて上がってしまった。先行者がへっぴり腰で登るので、用心して登るが、大したこともない。脆い花崗岩の岩稜に神経が集中して、下を見る余裕もなかった。いつの間にか、仙水小屋前で追い越された人を、頂上直下のザラ場でとらえた。いつも巻き道を利用していて、初めて登るという。怪しい道が幾筋もあって、上からの道筋を描いて選択をしなくてはならない。奇岩、珍岩の脇をすり抜けながら、10時56分、ようやく駒の頂上に立った。頂上は大勢の人で賑わっていたが、相変わらず視界不良。この時点で予定時刻をカバーしたが、問題はこの先にあると急ぐ。
摩利支天 この後、思いがけない出会いの余韻に浸りながら、直登コースを下ってきた学生に合わせて六万石を登り返す。ポン、ポンと岩の頭を飛び跳ねながら行くのを真似て追いかけるが、瞬く間に引離されてしまう。12時15分、喘ぎながら駒津峰に辿り着くと、駒や摩利支天がガスの切れ間に、現れては消えてゆく。しばらく干し肉をかじりながら、予定時刻ギリギリまでシャッターチャンスを待つが芳しくない。
 下りは、尾根どおしの双児山コースを選択した。仙丈ヶ岳、塩見岳、北岳などが正面に眺められて楽しい限りだと言われているが、全く期待を裏切られてしまった。予定より7分遅れの14時7分に北沢峠に着く。
 勝負はここからである。が、気が乗らない。長衛荘も長衛小屋も「予約のない方はお断り」の看板が立っている。大平山荘の看板がないので行ってみるが、林道から脇道に入る道端に看板が立てかけてあった。諦めて、バス停前の登山口に戻って馬の背小屋に向う。下ってくる人に小屋への道を確認すると、五合目の分岐から行けると言う。直接行けると思っていたのにと、地図を取り出してみると、コースを間違えているのに気づいた。もう一度、大平山荘の道に戻らなくては行けない。時刻は14時半を回っている。この時点で諦めがついて、宿の交渉に切り替えることにした。  思い立ったのが、八尾のグループに潜り込めないかであった。グループはまだ山行中だが、一か八か、あたってみようと、フロントでグループの仲間だといって交渉する。食事も付けてと欲しいと頼むと、渋々、宿泊客のカウントを始めてくれて「OK」のサインが出た。後から分かったことだが、隣り合わせた大阪毎日のツアーに3名の欠員が出て、その恩恵に預かったことが、引率者から聞かされて、互いに喜んだしだいである。缶ビールを片手に、玄関前で八尾のグループを待つ間にも、次から次とツアー客がバスから降りてくる。その中に横浜在住で大門町出身者の女性客も含まれていた。そのうちA氏が「体力の限界を感じる」と、珍しく弱音を吐いて下りてくる。メンバーが揃うか揃わないうちに外で宴会が始まり、歌も出て、仲間の輪に混ぜていただく。勢いは夕餉の会場まで続き、Tシャツの重ね着をした類の男性が、ここでも富山の山唄を披露する。珍しい仲間との出会いや、行き当たりバッタリの山行に、興奮冷めやらぬうちに床に就いていた。

 翌20日、4時半に目が覚める。枕を並べていたツアー客は既に発っていた。ここの宿は、朝食が出ない代わりに、弁当が前の晩に渡される。また、寝具の片付けもしなくていいので、静かに皆が発ってゆく。下で弁当を食べていると、八尾グループも出発して行く。5時5分、まだ暗い道を大平山荘に向けて小屋を出る。山荘の脇を抜けて樹林帯に入り、ジグザグの急登を折り返しながら行くと尾根筋に出る。朝食をとっている八尾グループをつかまえて、さらに藪沢の右岸を上がる。振り返ると、黄色のアノラックが先頭に立っている。ちっとも昔と変わっていないなアと思いながら、丸木橋を渡って左岸に移る。先に団体が歩いているのを見届けたものの、距離がつめれない。ようやく、藪沢の分岐でつかまえるが、馬の背小屋まで同伴してしまう。7時8分小屋に辿り着く。しばし休憩をとって団体の先を行く。10分程で馬の背の稜線に出るが、今日も深い霧に覆われている。面白味のないまま這い松を抜けると、藪沢の源流が現れ、最後の水場に着く。思い切り、頭から水を被るが、あまりの冷たさに、いっぺんに目が覚める。風も出てきて気温が低くなってきたので上着を着ると、霧の中から真新しい仙丈小屋が現れた。小屋の前は、小仙丈ヶ岳の分岐で、仙丈へは真っ直ぐに進む。ザレ場を折り返しながら進むと、大阪毎日の団体とすれ違う。小さなケルンの脇を通って行くと頂上は直ぐであった。9時3分。やはり、ここも混んでいた。
小仙丈ヶ岳 恨めしい空を眺めながら、さらに小仙丈ヶ岳を目指した。時折、ガスの切れ間に藪沢カールが姿を現す。仙丈小屋も足元に小さく見える。途中、雷鳥の家族に出くわし「ギイギイ」と、しきりに威嚇される。天候は下り坂に向かうのかと、半ばあきらめて小仙丈に立った。
オベリスク/鳳凰三山地蔵岳

 時折、ガスの切れ間に駒や鳳凰山のオベリスクが顔を覗かせるが、仙丈、北岳はガスに覆われたままである。瞬間をとらえてカメラを構えるが調子が悪い。電池を入れ替えたり、メイディアも入れ替えたりしているうちにチャンスを逃してしまった。ここで20分も費やしてしまい、北沢峠に着いたのが、11時27分。15分発のバスが出たばかりであった。次のバスは、13時15分。臨時のバスが出る場合もあると、案内人の言葉に期待して、缶ビールを飲みながらその時を待ったが、定刻通りの発車になった。
 村営バスが広河原に着いても、甲府行きのバスが出るまで広河原で2時間10分も待たなくてはならない。実に連絡が悪い。バス停近くの広場で、酒盛りしているグループの脇にシートを敷いて、お湯を沸かしてウイスキーを飲んだ。飲んでいるうちに、いつの間にかグループの中に入っていって山談義をしていた。某ハイキングクラブの川崎支部の人達で、仲には富山をよく知っている方もおり、富山でも指折りのすし屋や総曲輪の名前が出てくる。「板前の威勢のいい所は間違いないとおもった」と語って「繁盛する店は威勢の好さよ!」と付加えた。一理あると、私も思った。  話に花を咲かしていると、時間が経つのも早かった。出発前に用足しをして、甲府市内に入るまでぐっすり眠れた。後は18時半の高速バスに乗り換えるだけだが、中央道が大渋滞で新宿に着くのは23時になると説明されて、JR中央線の鈍行に飛び乗って、池袋のアパートに着いたのが21時であった。
 今回もいろんな人と出会って、いろんな山の話をしてきました。次はどんな人と会えるのか楽しみだが、そろそろ中間決算も控えており、山の方はしばらくお休みにさせていただきます。