山小屋一人ぼっち

瑞牆山・金峰山プラス大菩薩嶺山行 2004.11.4-6
長田 剛

瑞牆山から富士見平に戻ったのが15時。小屋の扉を開けると24畳ほどの土間の炊事場がある。昔ながらの釜戸と流し台とテーブルとベンチが置いてあって整然としている。右手に管理人室、その斜向かいに布団部屋。土間続きにその間を進むと奥にコの字型に150人が収容できるという寝床がある。陽が差し込んで明るい場所に陣どり、掛けと敷きと、2枚の毛布を運んで敷き、炊事場で早い夕餉の支度に掛かる。水場は小屋から少し下がったところにあり4L程を汲んできて早速湯を沸かしてウイスキーを飲む。今朝の新聞を読みながら、飲むうちに鼻歌も出てくる「スキャンダルなら男の勲章を--------」とテレサテンである。陽が傾き始めると、小屋の前を行き交う登山者の声が遠のいてゆき静寂が訪れる。飲んでいる間に2、3の登山者が小屋の中を覗いていっただけで、管理人も上ってこない。“一人だけか”と思った頃は、既に陽は落ちていた。レトルトパックのご飯に玉子丼の素をかけて、鰯の缶詰と味噌汁で夕食をとり。また、干し肉とパンでウイスキーを飲み、酔いが回り始めた18時半頃に床に就いた。
 「ギャオー!」“何だよ今のは?”布団の間から手が伸びてきて、股座を掴まれた。跳び上がって悲鳴というのか、絶叫というのか雄叫びなのか。恥ずかしくなって慌ててヘッドランプを点けて回りを窺うが、私の他に誰一人としていない。“夢見が悪かったなあ!”暴走族に小屋の周りを囲まれて、危機を感じたとたん。いきなり布団の間から手が伸びてきて股座を掴まれる。それにしても、感触が残っている。時刻は20時半、今の出来事ですっかり酔いも醒め、蝋燭を灯して外に出て用足しをし、再び飲み直すが----------。
瑞牆山
 11月4日。新宿駅7時発の「あずさ」に乗り、韮崎に着いたのが8時37分。直ぐに瑞牆山荘行きのバスに乗換え、山荘には8分遅れの10時10分頃に着いた。山荘までの間、運転手さんが親切にガイドをしてくれて、塩川に架かる橋上ではバスを止めて正面は久弥終焉の山「茅ケ岳(偽八ツ)」右手「富士山」左手「八ケ岳」後方「鳳凰三山・甲斐駒」と説明してくれる。増富温泉を過ぎると奥入瀬の様な渓谷を縫うようにバスは走り、名勝では一旦止まってくれたりもする。山荘前の紅葉は既に終わりかけており、落葉松や白樺林が寒そうであった。桃太郎岩
 落ち葉を踏み鳴らしながら50分も歩くと富士見平で、さらに飯森山の左裾野を巻くよう下って天鳥川を渡渉すると、正面に桃太郎岩が現れる。大ヤスリ岩

ここから瑞牆山の急登が始まり、途中にザイルや梯子がかかっていたりするが、危ない箇所はない。ただ、目印が乏しいので道を間違えやすい。上りで大きな岩に行く手を阻まれて素直に踏み跡を頼りに左に回ったのだが、ふみ跡があるのに次第に道幅が狭くなっていきクライマー用の壁にぶち当たってしまった。
幸い右回りで本ルートに合流したので安堵した。沢山の方が訪れるので登山道は荒れ過ぎていて、頂上直下の道はズタズタである。
 頂上は巨岩で覆われたテラスで、展望は360度と、今までの山行とは全く違った好条件と季節に恵まれて満喫できた。白峰三山、富士は冬の装いで、八ケ岳は紅葉真盛りである。瑞牆の山裾も綺麗だ。
全山紅葉・正面奥北岳・手前偽八の茅ケ岳 瑞垣山頂からの富士
瑞垣山頂からの八ケ岳 大ヤスリ岩の紅葉
 当初、赤石を狙っていたが、避難小屋2泊はこの歳ではきついし、瑞牆から眺めてみても冬の装いになっていて、諦めて良かったと感じた。また、今回は2,800円の素泊賃で一晩辛抱すれば、明日は久しぶりの温泉に浸れる。と、いさんで来た道を戻った。

 11月5日。昨夜の一件で、飲み直して寝たのが22時半。その前に用足しに小屋を出たら満天の星空で流れ星も見た。冷えるだろうと思って掛け布団をもう一枚掛けて眠ったが、夜中に寒さで雨具を着込んだりしてよく眠れなかった。ふと、外の明るさに気づいて飛び起きると出発予定の6時であった。
“やばい!”瑞牆山荘に泊まって金峰山を往復すると、韮崎行き14時20分の最終バスにギリギリだからこの小屋に泊まったのにと、朝飯も取らず身支度をして小屋を出たのが、6時半である。
辛うじて20分の余裕があるが1時間は稼ぎたい気持ちで、飯森山を右に巻きながら上る。放射冷却で霜が降りて寒いだろうと思っていたが、雨具を着るまでもなく、むしろ暖かく感じる。西斜面だからなのか考えさせられる。左手の落葉松林の間から瑞垣山が見えるが、秩父山系独特な鬱蒼として苔むし大日小屋から大日岩た林の中をひたすら朝陽を求めて歩く。突然、上空の視界が拡がると、朝陽をあびて赤く染まっている広場に出て驚いた。周りの木々が霜に覆われて、この一角だけが銀の世界だ。大日小屋などは建物全体が白く覆われて冷凍庫の中にある金峰の稜線ようだ。ここから、大日岩まで急登が続くが、登るに従い木々の間から朝陽が差し込んでくるので、気分は上々だ。


大日岩の裾を右に巻きながら登っていると、金峰から来た4人のパーティーとすれ違う。
 8:04、大日岩傍の広場に出る。サプリメントとパン、干し肉の朝食をとる。尾根の左側に付けられた水平道をしばらく行くと、雑木林の急登にさしかかり登りきると砂払ノ頭で、金峰への岩稜線が現れる。痩せた岩稜は陽に照らされて白く眩しい。今日も日本晴れで、富士も南アルプスもクッキリ、スッキリである。稜線の彼方に、獅子のように立っている五丈岩が見える。まだ先は長いと思っていたが、難なく金峰小屋と頂上の分岐に辿り着く。
五丈岩と金峰山頂 手前五丈岩・奥が金峰山頂
 計画では小屋経由だが直登を選択して最初の一枚岩に臨んだが、いきなりのスリップで自重して小屋の道に回った。小屋の手前に金峰頂上への道があり、何気なしに進んでみたものの急である。息を整えて登るも、目の前の頂上に至るまで何度立ち止まったかしれない。
 9:58分頂上。先客が二人いて、一人は、横浜の大学生で信濃川上から廻目平を経てテントを担いで来ていた。もう一人は、愛知の人で大弛峠まで車で入ったと言っていた。大学生に、この後は何処へ行くのかと尋ねると、富士見平らでテントを張って瑞牆山に登るというので“昨夜、富士見平小屋に泊まったら私一人だったよ。管理人もいないし、布団もあって楽だぜ!”と、言うと“あそこの小屋に泊まったんですか?幽霊が出るという噂があるんですよ!”“------------”“あそこで殺人事件があって、出るらしいのと聞いて、何時も小屋には近づかないようにしているんですよ”“それって!小屋番が女の子を強姦して殺した事件か?”と、以前、鈴木さんから聞いた話しを思い出して話すと、そうだという。“そんな話を知っていたら泊まらなかったのに。クワバラ!クワバラ!”学生には昨夜の出来事を話さなかった。やはりあれは、幽霊の仕業だったのではと思い起こす。今回もCR−Wをはいていて大事には至らなかったけど、金玉を潰されていたかと思うと余計にそのときの感触が疼く。帰ったら鈴木さんに報告しなくてはと思いながら、ふと、考えた。
あの小屋に泊まることは鈴木さんに話してあるのに、悪い人だな。教えてくれていたら、絶対、泊まらなかったのに---------。

頂上に着いた頃は1時間ほどの余裕があったが、四方山話に夢中になり30分も消化してしまった。以前、甲武信へ行くのに信濃川上から入って梓山でタクシーを捨て、右手に見える山が金峰山だと鈴木さんに教わった。当時は山深く入らないと登れない山だという印象があったが、表から登れば日帰りも充分である。前は、何だかもったいぶった山行をしていたものだと思ったが、千曲川の源流、惚れ惚れとする立派な金茶イグチ。はたまた木賊山で家に電話を入れると、出演した「富山発そこが知りたい」が再放送しているとの知らせ。懐かしい思い出の山塊だ。残念ながら国師ケ岳の陰になって甲武信は望めなかったが、満足、満足。右手に瑞牆、八ツ。左手に富士に南アルプス。
右瑞垣・奥八ケ岳 五丈岩・奥は白根三山

11:54、大日岩傍の広場に着く。50分の余裕である。さらに1時間かけて富士見平を目指す。登るときには目印を探すのに苦労したが、下りは見下ろすので楽に探せる。落葉松林には陽が燦燦と降り注いでいて、朝とは全く違った趣である。富士見平に着いた時、類の学生が霜で濡れたテントを張って乾かしていた。ここから瑞牆山荘前のバス停までは30分である。
 山荘から定刻通りのバスに乗って一路韮崎に向うのだが、帰りのバスでもガイドがはじまる。
麓からの金峰山 韮崎増富間の紅葉

人間って勝手なもので、JRの連絡が5分しかなくやきもきするが、難なくJRの鈍行に乗り継ぐことが出来て安堵して転寝をする。甲府を過ぎて東山梨市の次の塩山で下車をする。16:32、塩山駅の辺りは暗くなり始めていた。南口?東口のバス停から大菩薩峠行きのバスに乗車して裂石温泉に向う。バスの運賃が100円だから直ぐ近くだと思っていたら30分も掛けて山を縫う様に行く。今夜の宿である雲峰荘は行基が開いたという名刹の雲峰寺の裏湯と称されていて、都会の隠れ家的存在で宿は古いが、安い値段(1泊2食9000円)の割りには夕飯が良かった。一例を申せば、岩魚の塩焼き田楽、岩魚、マスのあらいに岩魚のイクラ、フキノトウ・ウド・鹿肉の三種の珍味、山菜の天ぷらに、鴨の味噌鍋に、岩魚のアラ汁である。温泉は掛け流しといいたいが、冷泉で沸かし湯ながら内湯の風情や、露天風呂での野趣は素晴らしいものがありました。是非機会がありましたら利用してください。お土産に、2L入りのペットボトルに詰められた霊泉がいただけます。

11月6日
6:30。朝食を取らずに、前の晩に握っていただいたお握りを携えて大菩薩を目指す。天気は曇天で肌寒い。雲峰寺前のアスファルトの急坂をしんどそうに登っていると誰かが声を掛けてくれると期待して自動車道を行くが、願いは叶わず上り口の千石茶屋に着いてしまう。7:17、空はまだ曇ったままである。茶屋脇の林道をしばらく歩くと、峠への登山口を示す標識が現れる。ここからロッジ長兵衛まで1時間30分の挑戦がはじまるが、「熊、出没注意」の看板が気になる。いつも低山の単独行では常にラジオを流しながら登るのだが、持ってくるのを忘れてしまって凄く不安であった。いきなりジグザグの急登が始まるが、しばらく行くと緩やかな尾根道に変わる。車の騒音が遠のくにつれてミズナラやブナの林を、落ち葉を踏みながら行く。陽が差せば最高の景色だが、熊と出会うのではという不安で心細かった。再び車の騒音がしてくるとロッジは直ぐである。
大菩薩からの富士8:45、ロッジ前でお握りと干し肉の朝飯をとって、落葉松林と笹原の登山道を通って福ちゃん荘へ向う。福ちゃん荘からは道が二分され、右へ行けば大菩薩峠、真っ直ぐ進むと大菩薩嶺へのショートカットコースの唐松尾根で、そこを登る。皇太子夫妻が最近お見えになったとかで、道の整備が行き届いていて二人並んで歩ける道がしばらく続く。最初の展望台からは、大菩薩湖の先には新しい千円札に描かれたような富士が望まれる。山全体がゴルフ場の芝生に覆われた大菩薩嶺様な笹原で、山を登っている気がしないが、これでも百名山である。雷岩から大菩薩嶺はほんの直ぐである。周囲は樹木に囲まれて全く展望はなく、

10:25三角点にタッチして雷岩に引返して眺望を楽しもうと思った。だが、陽は照っているものの風が冷たく、休むより体を動かしていたほうが温まるので、富士や南アルプスに目をやりながら峠に向った。大菩薩峠介山荘
土曜日とあってか家族連れやサークルの連中が目に付く、中にはお爺ちゃんが赤子の孫を負ぶって登ってくる。兎にも角にも賑やかである。峠の介山荘前の「大菩薩峠」と書いてある標識には、写真を撮るのに順番が付いており、そんな喧騒がいやで直ぐに峠を下った。介山が「大菩薩峠」を執筆した三界庵の前を通り、福ちゃん荘を経由して、再び、朝飯をとったロッジ前で二つ目のお握りをほお張った。おかずの高菜漬けが美味しくて、今夜の肴にしたくって半分持ち帰ることにした。
12:15、再び来た道を引返した。朝と違い陽が燦々とふりそそぐ林道は、周りの木々の色と同じく暖かく。尾根を登ってくる人とすれ違う回数も増え、熊のことなど心配にならなくなっていた。
13:42、登山口のバス停に辿り着く。14時52分発のバスまで1時間はあるので、雲峰荘に寄って温泉に入れてもらい、再度、清めの冷泉で厄を祓い、さっぱりして湯上りの缶ビールを味わう。さらに、バス停の番屋茶屋で、土産用の草餅を単品で分けてもらい、お茶までご馳走になって大満足であった。

今回の山行では、梓林太郎の本の読みすぎか、「オニイサン、マッサージ、イカガ」と、毎晩、池袋の駅前で声を掛けられてウンザリしていた反動か、とんだハプニングもあったが、これはこれで、しばらくは話の種は尽きない。それにしても、天候に恵まれて感謝しております。この前、3ヶ月ぶりに富山に戻って、ピッケルにアイゼンと靴を用意してきました。今度、皆様にお伝えできるのは初冬の山行かもしれません。それまでは、乞うご期待願います。